江戸は
職人の町
江戸時代、多くの職人が活躍した時代です。 しかし、その当時「写真」はありませんでした。
ですから、当時の職人達の生活、そしてその技術的な手腕がどのようなものであったか、具体的に知るすべはありません。
ただ、江戸時代の職人の「腕を磨く」という言葉には、「みずからの人間性を高める」という意味もあったようで、金銭欲に負けず立派な仕事がしたいという日本の常識、「職人気質」が生まれているようです。
そしてこの日本の職人気質こそ、日本と他国を区分ける明確な心情ではないでしょうか?
このような気質が失われ、経済的合理性にうつつをぬかし、それがあたかも近代化であるというような意識が、日本を壊しつつあるように感じます。
明治時代の初期、尾形月耕という画家が、「新撰百工図」という連続画集を出版しました。
そしてその画の解説を、版元である対原堂の主人と、武田酔霞、山下重民が書き、職人の姿を今に伝えることに成功しております。
月耕がこの絵を描いたのは明治10年。そのころの職人の仕事振りは江戸時代のものと少しも変わらなかったといいます。
それが現代、槌田満文氏によってまとめられ、東京堂出版から「江戸東京職業図典」として出版されました。
そこに描かれた絵と文章をもってすれば、現代でも江戸職人を復活することが出来るかもしれません。
職人と言う言葉を英語にすると「artist」。
つまり「芸術家」という意味にもなります。入門者や精進していない者はcraftsmanですけどね。ですから職人の町「江戸」ということは、江戸が芸術家の町であったとも言えるわけです。
そしてそれは、ヨーロッパの古都の成り立ちとも酷似しているのではないでしょうか?
多くの名も無き職人達が作り上げてきた、公共建築や日用品の芸術性あふれる作品群。それらが取引きされながら、江戸の経済は活発に動いていたはずですね。