江戸の職人の代表格は、何と言っても大工でしょう。
この大工さんは、職能としてのゆるい集団を作っていました。発注者は、その大工集団の「棟梁」に普請を依頼します。
「棟梁」は、依頼された建築の規模や内容に準じて大工職人を割り振ります。
図面などがあったのかどうか、それは判りません。規模によって必要ならば書き、小規模であれば口伝で行ったのでしょう。
大工職人は、それぞれどこかの棟梁の配下に入ります。仕事になれば賃金がもらえますが、仕事が無い時はもらえません。もっとも仕事はいくらでもあったようです。ですから「宵越しの銭は持たない」などいう職人気質が生まれたのでしょう。
大工の仕事は柱を組み、屋根の骨組みだけを作り、棟上までを行います。(土台は大工ではなく土方職にまかせたようです)
棟上では棟上式が行われ、棟の上に扇などを飾り、「木遣り」などのお目出度い唄を唄って祝ったとか。
そして最後には棟の上から餅とか小銭を投げたということです。