江戸の職人経済

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紺屋職人

紺屋(こんや)は「こうや」とも読みます。染物屋ですが、さまざまな色に染め上げるのではなく、紺色に染め上げるだけの職人。

江戸時代も中期になると貨幣経済が浸透しはじめ、米経済がダメになっていきます。
経済理論などは無かった時代(現在も経済学などはおかしな理論ですけどね)、徳川幕府は緊縮財政を「贅沢禁止令」のような形で発布。華やかな色のついた着物がご法度になり、紺一色なら認められたということから、藍染の需要が増して紺屋という職人が多くなったのでしょう。
今でも神田に「紺屋町」という地名が残っております。

徳川が貧しくなったことは、庶民が豊かになったこと。徳川政権の事情で華やかな着物がご法度とは実に理不尽な法です。
庶民の反発は必至。その抵抗活動は職人の腕で・・と言うわけで、藍染だけで実に華やかな柄を描き出しました。
それを見たお役人も「見事だ・・あれが着たい!」と言ったとか。

藍とは、「蓼藍(たであい)」という草の葉を乾燥させ、発酵させてから「灰汁」でもどし、土間に埋めた甕(かめ)に入れて発色させたものです。(実に微妙な発色で、温度管理と時間管理が難しい工程です)

その中に、糸とか布を入れて染め上げるのですが、白く染め抜く部分には型紙を当てておいたり、糸で縛っておいたり、糊などでマスクしておいたり、単純な白と紺だけでなく、微妙な中間色、そしてグラデーションなども可能にして、紺一色の「豪華絢爛」な染物を作っていました。

どのようにしてこのような柄を作るのか、それが紺屋職人の腕の見せ所なのですよ。
日本の多くの伝統芸術は、このようにして生まれているのです。

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