将軍吉宗、その経済政策は
徳川吉宗、紀州徳川家からの登用。暴れん坊だったかどうかは知らないが、頭がよかったことは確かなようだ。
米本位制の問題点をよくご存知。経済が貨幣制度で動いていることもご存知・・??
お米が唯一の収入源の武士階級。収入を増やそうとお米の増産に励む。その気持ちはよく解るが、人口が増えないで米の生産だけが増えればどうなるか。
吉宗
新しい歴史教科書
(扶桑舎)より
徳川氏蔵
需要と供給は経済の基本。供給が増えれば価格は下がる。吉宗将軍、そのことを理解したのか。
さりとて米本位制の幕藩体制を揺るがすことはできない。 米本位制の武士と農民は、貨幣経済の職人と商人、即ち町民階級に呑まれていたのに。(士農工商が、経済力では逆転し始めていたというのに・・・)
吉宗将軍の改革、享保の改革は残念ながらの「緊縮財政」。
元禄景気で放漫財政、汚職の常識化になっていた幕府体制を一喝。 切り詰めるところは極限まで切り詰めた。 その上に新田開発、お米の増産。(やっぱし解っていませんね。お米の相場が下がるだけです。)
ちょっと違うのは銀と銅銭の相場に注目したこと。 そして、他の産品に貨幣課税をしていったこと。
日本には間違いなく「資本主義の信用経済」ができあがりつつあったようだ。
このページでは、家康公から続く歴史を徳川家の当主の時代で表現します。
その当主の時代に経済はどうだったか、そういう視点で捉えます。
左のリストから、当主の名前をクリックしてください。
名前の下の年号は、生年~没年です。将軍職の年ではありません。
顔のグラフをクリックしても、大きくなりません。
織田信長
1534年~1582年
豊臣秀吉
1537年~1598年
家康(いえやす)
1537年~1598年
秀忠(ひでただ)
1579年~1632年
家光(いえみつ)
1604年~1651年
家綱(いえつな)
1641年~1680年
綱吉(つなよし)
1646年~1709年
家宣(いえのぶ)
1662年~1712年
家継(いえつぐ)
1709年~1719年
吉宗(よしむね)
1684年~1751年
家重(いえしげ)
1712年~1761年
家治(いえはる)
1737年~1786年
家斎(いえなり)
1773年~1841年
家慶(いえよし)
1793年~1853年
家定(いえさだ)
1824年~1853年
家茂(いえもち)
1846年~1866年
慶喜(よしのぶ)
1837年~1913年
家達(いえさと)
1863年~1940年
家正(いえまさ)
1884年~1963年
恒孝(つねなり)
1940年~
家広(いえひろ)
1965年~