江戸の経済史

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家宣、行き詰った徳川経済

平和が続けば商売は栄える。江戸だけじゃない、上方も好景気。
江戸の需要をささえる関西の製造業。勿論ぜんぶ手作業の製造。京都、大阪でも江戸の需要で忙しいこと。

江戸の職人だけでは需要に追いつけない。江戸と上方、活発な取引。
そこは商人、すぐに気が付く為替取引のうまみ

家宣
WikiPediaより

東の金使い、西の銀使い」とは、この差益でぼろ儲けする仕組みのこと。
変動相場制のメリット、 「ユダヤの秘密」なんて本を読まなくても、身体で感じるうまい汁。秘密でもなんでもない。

上方で銀相場が安くなると上方への発注、江戸で金相場が安くなると江戸へ発注。相場相手のテクニック。
江戸金融工学の誕生だ。(野放し自由経済、いつもおんなじパターンですね)
つまり江戸時代、貨幣経済が育つことで、お米経済が破綻してしまったということ。

さて綱吉ですが、宝永6年1月10日(1709)にやっと死んで6代将軍は家宣、 「生類あわれみの法」の継続を遺言される。
しかし家宣はこう言ったとか・・・「生類憐みの令のため、罪人となった者は数知れない。 私は天下万民のために、あえて前将軍の遺言に背くこととする。」

しかしそれでも経済は悪化の一方。江戸幕府、存亡の危機は続く。

両替商
大江戸カルチャーブック(青幻舎)より

このページでは、家康公から続く歴史を徳川家の当主の時代で表現します。
その当主の時代に経済はどうだったか、そういう視点で捉えます。

左のリストから、当主の名前をクリックしてください。
名前の下の年号は、生年~没年です。将軍職の年ではありません。

顔のグラフをクリックしても、大きくなりません。

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