江戸の経済史

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将軍家慶、時代錯誤の緊縮財政

将軍家斉が亡くなった年、天保12年(1841)は、明治維新の27年前である。

江戸時代はいよいよ末期を迎える。
日本の回りにはヨーロッパ列強が迫り、独立したアメリカも、国益むんむんで日本に迫っていた。遠眼鏡で日本を見ながら、ロングナイフを持った凶暴な猿がひしめいている国がある・・・・

家慶
WikiPediaより

そんなことはまったく知らない働き者の江戸庶民。安全で平和な日常を生きている。
家斉様が亡くなったあと、将軍様は家慶様だ、徳川幕府安泰だ、などとのんきなもの。
でも幕府財政の逼迫は続き、天宝13年には保字金銀貨を発行している。

将軍家慶の時代、実権を握ったのは水野忠邦
家斉の娘「およみの方」に取り入って足がかりを持ち、家斉が隠居して将軍が家慶になると自分の養女を妾に差し出し、大奥の御女中に取り入り、そして水戸の徳川斉昭と結託してその地位を固める権力欲の男。
そして始める「天保の改革」。

しかしこの改革、綱紀粛正と倹約令は過去の改革の焼き直し。
家斉の治世で贅沢がしみこんだ大奥の反発を買い、僅か30ヶ月の短命。水野忠邦は失脚する。

発達した貨幣経済の中に合って、時代錯誤の綱紀粛正と倹約令。 それによって引起こる不景気(デフレ)で低所得者層はひどいことになる。(現代と同じです)

このページでは、家康公から続く歴史を徳川家の当主の時代で表現します。
その当主の時代に経済はどうだったか、そういう視点で捉えます。

左のリストから、当主の名前をクリックしてください。
名前の下の年号は、生年~没年です。将軍職の年ではありません。

顔のグラフをクリックしても、大きくなりません。

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