江戸の経済史

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病弱な将軍・家重

遡ること1657年、犬将軍の時代に、明暦の大火が起こっています。
それが失火ではなく付け火であったことは確かなようですね。そりゃ人間よりも犬を大事とされたら、 どんな国民でも怒るでしょう。

実際は徳川政権に仇なす不貞のやからの付け火であっても、将軍様は犯罪者と見做します。(内戦回避のため)

家重
WikiPediaより

吉宗様はこういう問題をシステマチックに解決しようとする賢い人。
町にたむろする不逞のやからの親分などを町火消しとおだて上げ、江戸の火付けを監視させます。

犯罪者を監視する親分も登場。罪を犯すのは、真実を見る目が無いからとか。
だから親分の行うことは、犯罪者の目を覚まさせ、真実を見せること。人呼んで「目明しの親分」。その総まとめ役が「大岡越前の守忠相」でした。

さて、波乱にとんだ吉宗将軍も、ついに寛延4年6月(1751)に病死します。
「長子相続を守れ」という厳命によって、次期将軍は病弱の長子、家重さま。
しかしこの家重将軍、10年ほどの短命政権。その子「家治」様が賢かったようで、 江戸時代はまだまだ継続いたします。

父の将軍吉宗は、紀州(和歌山)の徳川家出身。その紀州のお城にいた足軽の息子、田沼意次の才能に目をつけます。
そしてその斬新的な考えを高く評価し、相良藩に抜擢、 その業績のすばらしさ(つまり相良藩の経営建て直しに成功) から旗本にしてしまうのです。
この田沼意次さんが、病弱な家重将軍の時代に頭角を現し、家重様の遺言は「田沼にまかせろ!

明暦の大火
鈴木浩三著・「資本主義は江戸でできた」より
畑市次郎著・「東京災害史」都政通信社

このページでは、家康公から続く歴史を徳川家の当主の時代で表現します。
その当主の時代に経済はどうだったか、そういう視点で捉えます。

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