家継、気の毒な短命政権
将軍家宣は僅か4年の短命政権。「生類あわれみの法」を無くした為の犬のたたりか?
その後を継ぐ将軍は「家継」。
家宣のあとを継いで将軍になったのが4歳の時、 そしてそれから5年目の正徳6年4月30日(1716)、あえなく病死。(毒殺との疑いもあるようで・・・)
家継
WikiPediaより
これで家康公から続いた本家の家系は根絶やしになった。さて、どうする徳川家・・・・
それでなくとも経済は逼迫、経済に強い将軍はいないのか!
お世継ぎは深刻な問題か・・・そうでもない。さっそうと登場するのが将軍「吉宗」。
そう、あの「暴れん坊将軍」だ!。
この吉宗、尾張徳川などのライバル達の急死によって浮上したもの。
吉宗、紀州藩建て直しに、汚職家臣らをスパイを使って粛清していたから、 もしかするとその忍者連中がライバルを殺し回ったのかも知れないけど、いや、証拠はまったくありません。
新川酒問屋と河岸風景
鈴木浩三著・「資本主義は江戸でできた」より
このページでは、家康公から続く歴史を徳川家の当主の時代で表現します。
その当主の時代に経済はどうだったか、そういう視点で捉えます。
左のリストから、当主の名前をクリックしてください。
名前の下の年号は、生年~没年です。将軍職の年ではありません。
顔のグラフをクリックしても、大きくなりません。
織田信長
1534年~1582年
豊臣秀吉
1537年~1598年
家康(いえやす)
1537年~1598年
秀忠(ひでただ)
1579年~1632年
家光(いえみつ)
1604年~1651年
家綱(いえつな)
1641年~1680年
綱吉(つなよし)
1646年~1709年
家宣(いえのぶ)
1662年~1712年
家継(いえつぐ)
1709年~1719年
吉宗(よしむね)
1684年~1751年
家重(いえしげ)
1712年~1761年
家治(いえはる)
1737年~1786年
家斎(いえなり)
1773年~1841年
家慶(いえよし)
1793年~1853年
家定(いえさだ)
1824年~1853年
家茂(いえもち)
1846年~1866年
慶喜(よしのぶ)
1837年~1913年
家達(いえさと)
1863年~1940年
家正(いえまさ)
1884年~1963年
恒孝(つねなり)
1940年~
家広(いえひろ)
1965年~