江戸の経済史

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家治、自由経済を推進

将軍家治様。遺言に従って田沼意次を登用。

田沼意次。 金権政治に明け暮れた悪徳政治家の代表のように言われるが、実態はそんなことはない。 では、なぜ良く言われないのか。
米本位経済から貨幣経済への変換を計り、その後失脚したからそう言われるだけのこと。
昔の京都の商人と公家・大名達の癒着構造から見れば、「清廉潔白」疑いなし・・・

家治
WikiPediaより

この意次にチャンスを与えた家重、そして信頼した家治。それによって日本は貨幣経済に移行し始める。
将軍吉宗の偉業とは、本当はこの田沼意次を登用したことにあるのではないかと思えるほど。
そう、松平定信によって失脚させられるまで。

そしてこの田沼時代に作られた経済システムこそが、 現代の日本型資本主義の基礎になっているように見える。 (つまり、その後の松平定信の治世は日本型社会主義の基礎のよう。いまだにその両方の狭間で、 我々日本国民は右往左往しているようにも思えるのだが・・・)

田沼意次、権力を握るとすぐに幕府の税収を年貢から貨幣経済へのシフトを計る。
年貢米という直接税から、冥加金、運上金という間接税へのシフト。 商業資本の保護育成を柱として同業団体の問屋株仲間を公認制として独占させ、その対価としての冥加金、運上金の徴収だ。
もちろん貨幣供給量を増加させ、資本の流動性を高め、経済刺激策も怠らない。
貿易では、輸入品の決済としての金銀流出を防止するため、海産物とか銅地金などの増産を促し、それを輸出してそれまで流出した金銀を海外から取り返す。
貿易赤字は貿易黒字となり、取り返した金銀と、増産される銅は貨幣になって市場に出回り供給量は拡大する。

田沼意次の積極経済、留まるところを知らず、さらに商品作物の奨励、蝦夷地開発(対ロシア貿易を考慮したもの)、 町人資本を導入した印旛沼干拓工事(民活)にまで及ぶ。
公権力と民間資本が組織的に機能して、その意思決定システムはまさに近代社会システムそのものであった。
日本株式会社、ここにあり!

ヨーロッパでは、蒸気エンジンによる産業革命が台頭し始める直前。そのころの出来事である。

このページでは、家康公から続く歴史を徳川家の当主の時代で表現します。
その当主の時代に経済はどうだったか、そういう視点で捉えます。

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