その息子・秀忠、江戸の街づくり
武勲のあった家臣を取り立て、全国の大名に配置。
「子々孫々までその忠義に報いよう」などとうまいことを言いながら、江戸のお城と城下町、その建設の資金を出させる。
経済というアイディアを理解している大名は、その意味がわかって協力に励む。

秀忠
WikiPediaより
わからんやつらはいつも同じ。謀反を計画して「お取り潰し」に合う。 徳川軍事政権、いやその強いこと。
徳川幕府に刃向う者、即ち「平和に対する罪」。
大名には石高。即ち土地の広さとそこから取れる米の量を、同じ表現で現わす。もらったのではない。
管理して生産に励み、それだけ確保しろというお定め。うまいアイディア。
戦いに明け暮れた自分(家康)は、いろいろ方便を使った。協力者を増やすために。
だからさっさと引退し、息子「秀忠」に政権を譲る。もちろん院政。でも約束反故はやりやすい。
狸と言われるゆえん。
ウエットな大名には「米本位制」のドライさがわからない。
百姓をほおって置いてもお米は出来ない。管理は即ち「お仕事」なのだ。
当然ノルマが課せられる。与えられた石高は、課せられた石高。勝手は出来ない。
(お米経済、始動!)

徳川直営の江戸普請
鈴木理生著・「幻の江戸百年」 筑摩書房より
このページでは、家康公から続く歴史を徳川家の当主の時代で表現します。
その当主の時代に経済はどうだったか、そういう視点で捉えます。
左のリストから、当主の名前をクリックしてください。
名前の下の年号は、生年~没年です。将軍職の年ではありません。
顔のグラフをクリックしても、大きくなりません。

織田信長
1534年~1582年

豊臣秀吉
1537年~1598年

家康(いえやす)
1537年~1598年

秀忠(ひでただ)
1579年~1632年

家光(いえみつ)
1604年~1651年

家綱(いえつな)
1641年~1680年

綱吉(つなよし)
1646年~1709年

家宣(いえのぶ)
1662年~1712年

家継(いえつぐ)
1709年~1719年

吉宗(よしむね)
1684年~1751年

家重(いえしげ)
1712年~1761年

家治(いえはる)
1737年~1786年

家斎(いえなり)
1773年~1841年

家慶(いえよし)
1793年~1853年

家定(いえさだ)
1824年~1853年

家茂(いえもち)
1846年~1866年

慶喜(よしのぶ)
1837年~1913年

家達(いえさと)
1863年~1940年

家正(いえまさ)
1884年~1963年

恒孝(つねなり)
1940年~

家広(いえひろ)
1965年~



