江戸の経済史

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将軍にならなかった家達氏

大政奉還をもって、時代は明治。もう江戸時代ではないということですが、徳川家は続きます。
家達さん、和宮さまの働きか?新政府から徳川家を継ぐことを許され、後に貴族院議員となります。
しかも彼は将軍にはなりませんでしたが、政権奪還のチャンスはあったようです。

家達
Wikipediaより

明治が過ぎて大正時代の3年(1914)に、シーメンス事件により 山本権兵衛内閣が総辞職した時のこと。 (つまり鹿鳴館華やかなりしころ)
家達氏に内閣組閣の要請があったのです。そこで内閣を作っていれば、間違いなく「徳川政権」でした。
しかし、徳川家の会議で、それは辞退するとの決定がなされ、徳川政権は実現しませんでした。

話を戻し、明治になってから、官軍は約束どおり天皇陛下を江戸城にお連れになりました。そして江戸城はその日から 皇居となったのです
そして天皇陛下は、軍の最高指揮官、大元帥となられました。 (だから我々の知る明治天皇は軍服を着ておられます。)

明治15年、山県有朋が明治天皇を持って作られた 「軍人勅諭」に、日本の軍隊のあり方が書かれました。 勝海舟の申し出が、ここに文書として定着し、大日本帝国軍の近代化がスタートします。

日本の軍隊は短期間に近代化され、世界を相手に交渉を開始。「日清戦争」を戦い、 そして「日露戦争」を戦います。
いすれも韓国・朝鮮に対する干渉を止めさせるためでした。西郷氏の征韓論が挫折し、 列強の脅威が朝鮮半島を足がかりにして日本に忍び寄ります。
それを排除するための戦い。そして満州国建設と続きます。

このページでは、家康公から続く歴史を徳川家の当主の時代で表現します。
その当主の時代に経済はどうだったか、そういう視点で捉えます。

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名前の下の年号は、生年~没年です。将軍職の年ではありません。

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