この孔子廟訴訟とは、沖縄県那覇市松山公園内に建てられた孔子廟が、久米崇聖会が立てた宗教施設であり、那覇市立の公園を民間の宗教施設が無料で使っていることに対する住民訴訟としてなされたものです。
この公園の土地使用を許可したのは当時の那覇市長であった「翁長雄志」現沖縄県知事でした。
そしてこの翁長知事は、那覇港から沖縄に入る入り口に2本の龍柱を建て、沖縄が中共の属領であるということを意味する龍のデザインを施し、その門から入って松山公園を通過するところに、この孔子廟を配置したわけです。
那覇港には多くの中国人が船で観光に来ております。多くは台湾からの観光ですが、当然その中に大陸の人物も混ざっていることは言うまでもないでしょう。翁長知事は彼らを歓迎するという意味でこのような状況を作り出したようです。
つまり中共に対する観光誘致と言うのが大義だったようですが、「翁長知事は沖縄を中共に売る気か!」という怒りの声も沖縄県民の間から上がっていました。もちろんこの声はサヨク・マスコミには載りません。ですからこの問題を知る日本国民はほとんど居ませんでした。
ただ、ネット上で見た多くの国民は、心配していましたけど。
沖縄の人々はおとなしく、このような危機に至ってもなかなか訴訟などという過激な行動は取りません。しかしここで一人の元教師「金城テル」氏が立ち上がったのです。先ず龍柱建立に異議を唱え、そして孔子廟の公園無料使用を訴えたのです。金城氏の訴えを弁護したのは徳永信一弁護士でした。
問題となった孔子廟が立ったのは2012年でした。以降、久米崇聖会(中国から渡って来た華人の子孫が作っていると言われる儒教の団体)がそこで宗教儀式を毎年行っていました。
しかしそれは沖縄文化との関連はなく、久米崇聖会が行う私的な儀式であり、市立公園を無料で使うのはおかしいというのが訴訟の内容です。つまり日本国憲法が定める第20条の政教分離の規定に違反していると言う事を争点に絞ったようです。ですから訴訟は憲法訴訟になりました。訴えた相手は那覇市なのです。
訴訟ですからもっと具体的に、「2016年4月から久米崇聖会が公園を使った使用料187063円/4カ月を市が請求しないのは違法である」というものだったようです。
2016年11月に那覇地裁はこの訴えを却下します。住民監査請求とこの訴訟の間には関係がないと言うのが理由だったそうです。政教分離の問題にはまったく触れておりませんでした。
そこで原告団は高裁に上告し、2017年6月に高裁はこの控訴を認め、再び那覇地裁にこの判決を破棄し差し戻したのです。
そして2018年4月13日までのこの裁判では、孔子廟が宗教施設かどうかが審議の中心となり、相手側は「宗教施設ではない」という主張をしていたようです。しかし大阪大学の儒教の専門である加地伸行先生の話で、「儒教は死と深く結びついた宗教である」という主張が認められ、原告勝訴の判決が出たわけです。
勝訴内容は、「2016年4月から久米崇聖会が公園を使った使用料187063円/4カ月を市が請求しないのは違法と認める」というものですが、那覇市が今後どうするかは判りません。
若し那覇市が請求をしなければ職務怠慢となりますが、金額は今後積み上がって行くだけです。那覇市が請求をした場合、久米崇聖会は金を払って宗教行事を続けるのか、それとも孔子廟を撤去するのかもまだ判りません。
さて、アメリカでは孔子学園が中共の情報機関であるという認識が強くなっております。中共で孔子学園が登場したのが2005年頃でした。それから「中国語と中国文化を世界に広める」といううたい文句で世界中に拡散していきます。日本では立命館大学に始めて孔子学園が設置されたことはよく知られています。
http://www.ritsumei.ac.jp/confucius/
孔子学園でなくとも、「中国語講座」などを開いて若い女性が講師となる集会は昔から行われており、餃子パーティなどと称する文化交流パーティと言うものを通じて「ハニートラップ」なども行わていたようです。
このような手法を組織化したのが孔子学園のように思います。
この孔子廟が孔子学園と関係があるのかどうかは判りません。沖縄にはまだ孔子学園は作られていないようです。もしかしたらこの孔子廟を核とした、孔子学園とは別の、未開地用の手法の展開を考えていたのかも知れません。
その出鼻をくじいた今回の訴訟は、対中戦争に対してかなりインパクトがあったようにも見受けられます。
このような中共のやり方を世界中が「卑劣・卑怯」と感じるようになってきましたが、当の中共はこのような手法が「頭の良い手法」であると考えておりますから、孔子学園が封鎖されればまた別の新たな「頭の良い方法」を考えて来るでしょう。
きりありませんが、これが中共との戦争だと考えれば良いでしょう。
ともかく金城テル氏とその協力者たちは、この戦争に先ずは勝利したわけですね。