「通勤時間を省きたい」とか、「今日は一人で集中して考えたい」などと言うことが出来る職種にとってはこの改革がうまくいくのかも知れません。
しかしこれは、ルーティンワークの仕事には向いていません。例えば工場労働の場合は朝9時から夕方17時まで、工場内作業に就くわけです。
このような働きには改革は不可能です。まあ決められた時間を短くしても生産性が落ちないような設備をするということくらいでしょう。
また、同じルーティンワークと言っても、公務員の業務や病院の業務などはもっと働き方改革はしずらいでしょう。
政治家などは人と会う仕事ですから、朝から晩までスケジュールで一杯になります。さらに政策などクリエイティブな仕事もこなさなければなりませんから、このような仕事をどうやって改革するのでしょうか?
現在の「働き方改革」は、これまでの産業主体の考え方から情報主体の考え方に変わろうとする初期のスローガンに過ぎないと思います。
工場が合理化される中、「売れなければ生産性にカウントされない」となって、生産数量が生産性の指標にはならなくなったことから、この「働き方改革」というよく意味の分からないスローガンが出てきたように思います。
ご承知のように、現在はインターネットによる販売が活発になっています。この販売方式は「受注生産」という生産方式に合っています。
工場が在庫しようと、受注してから生産しようとどっちでも良いわけですが、工場の合理化から考えると「受注するポイントで納期回答が出来売ればよい」ことになります。
納期の折り合いがつかなければ「商談決裂」ということが、このやり方の特徴ですね。
生活物資が世の中にあふれて、商業主義が激烈な競争を生んだとしても、常に需要は変わって行きます。そしてそれは必ず多様化します。
この状況を考えた「働き方改革」なら良いのですが、安倍政権が言っている働き方改革はどうも少しずれているようです。
ですから産業の生産性を下げるような行動が起きてしまいます。仕事の内容が変わらないのに時間短縮や残業拒否などが推進されれば、現場は混乱し、自宅で就労(残業の変わり・無給)となって行くわけです。
先進国の条件として、「仕事は楽しくなければならない」というものがあるように感じませんか?
ルーティンワークの仕事は「同じもののコピー生産」での生産性ですから楽しい仕事ではありません。
また、公務員の仕事なども法律などに縛られ、細かく陰鬱な仕事ですから楽しい仕事とは言い難いでしょう。
「物作り」とは本来は楽しいものです。それは苦しさの中の楽しさとでも言うものでしょうか。
敗戦直後から、例えばソニーの井深大氏や盛田昭夫氏、本田技研の本田宗一郎氏などは物作りに苦労しながら楽しんだ方々でしょう。
「物作り」だけでは趣味の世界になります。苦しいのはそれを「市場」に出すことです。販売すればクレームが付きます。改良しなければなりません。このサイクルがあって完成された商品として生まれてくるわけです。
パソコンも、Windows(OS)も、スマホも、そしてそのアプリも皆このサイクルを通っているわけです。
ほぼ完成し売れて来ると市場競争が始まります。後追いで販売してくる類似品メーカーが一杯居りますからね。これが「物作り」のサイクルです。
最初の工程が開発です。ここはトップダウンでも可能です。もちろん複数の人間が集まって開発するなら、そこにはトップダウンだけでなく誰かのアッと言うアイディアがボトムアップを形成したりして、そこがまあ面白いわけですけど。
市場とは、クレームと改良のサイクルを提供するものです。典型的なボトムアップですね。ユーザーは思わぬ使い方をするものです。
例えば日本電気(NEC)は最初にインテルの8080マイクロプロセッサーを機械のシーケンス制御のに使わせようと、トレーニングキットを作って機械メーカーに売り込みましたが失敗しました。しかしそのトレーニングキットが秋葉原の電気街で売れていることから、初めてパソコンの市場と言うものがあることに日電が最初に気が付きます。
「物作り」の本質は、市場からのクレームから、市場競争までにあるわけです。そしてこれがボトムアップ体質と言う事になると思います。
トップダウンは空間的には強く時空間的には脆いのです。対するボトムアップは空間的には弱く時空間的には強いのです。
中共はアメリカや日本の技術を盗みながら、共産党のトップダウンで国家の経済力をつけてきました。それから自由主義国の市場に出して、多くのクレームと戦ってきたわけです。
最近は中国製の品質が高くなってきています。このまま行くと市場を確保した中国製の方が、市場を失っていく日本よりも良くなっていくかも知れません。
そして華人は知らず知らずにボトムアップの効能を知ってきたようにも感じます。これはやがて「共産主義否定」となり「民主主義の意味」を理解する切っ掛けになって行くように思います。
中国はアメリカの経済戦争や新型コロナで崩れていくとも思えません。共産党は崩壊するでしょうが、それ以降の中国はボトムアップ体質で我々の強力なライバルになることが予想されます。
我が日本は、神代(かみよ)の時代からボトムアップ体制でした。須佐之男命が暴れ回って民衆からのクレームが付き、天照大御神は天岩戸に隠れなければならなくなるほど、ボトムアップでした。
日本の職人は市場のクレームと常に向かい合い、やがてクレームの付け所が無くなり、さらに精進すると「あの人は○○を作らせたら神様だね」と神様にまでなるというボトムアップの社会です。
その神様を称え、顕彰し勲章を渡すのが天皇陛下と言う訳です。物作りだけでなく、抽象物である戯曲や演劇、研究者や小説家、絵画、彫刻などの作家にも同じように勲章を与えています。
日本は徹底したボトムアップの社会なのです。そこから「謙遜」とか「思いやり」という精神が生まれ、日本社会の基礎となっていると言う事、それを忘れたり失って欲しくありませんね。